こんにちは じんじょ(@jinjolifeshift) です。
今回は、海外駐在の光と闇「闇編②」です。
(「闇編①」はコチラ )
一見きらびやかに思われる海外駐在ですが、必ずしも良い面ばかりではありません。
前回の記事に引き続き、わたしが感じた「海外駐在の闇」について記します。
前の記事「海外駐在の光と闇(闇編①)」はコチラ:
海外駐在の光と闇(闇編①:狭いコミュニティ内の「同調圧力」)目次
うつ病発症のきっかけ、心を蝕んだ海外駐在の闇
わたしは海外赴任より帰国後、「うつ病」を発症しました。
(帰国後の「うつ病闘病記」はコチラ)
思い返すと、駐在当時からその予兆はすでに現れていました。
帯状疱疹や消化器系の不調などしっかりと病名の付くものから、軽度の不眠や2週間以上続く謎の微熱まで。
一時期、ひどい寝汗に悩まされてたこともあります。朝起きると、毎日のようにまくらやベッドのシーツがびっしょりなのです。
妻曰く、「とにかく顔が死んでた」そう(笑)。
ただこうした不調は、あくまで断続的なものです。日常生活を送る上で大きな支障はなく、当時はそれほど問題視していませんでした。
ただいま振り返ると、少しずつしかし確実に、わたしの心は蝕まれていたのだろうと思います。
前回の記事で「海外駐在の闇」として紹介した以下の3点が、その大きな要因です。
- 狭いコミュニティ内の「同調圧力」
- 「日本との隔たり」に悩む日々、OKY
(オマエガ、ココニキテ、ヤッテミロ) - 「家族」の負担
①「同調圧力」に引き続き、今回は、②「日本との隔たり」について書きたいと思います。
帰国後の「うつ病闘病記」はコチラ:
うつ病の発症① ~初めての精神科でうつ病と診断~OKY:オマエガ、ココニキテ、ヤッテミロ
“OKY”という標語をご存知ですか?
こちら、駐在員の間ではちょっと知られている略語です。
その意味は、O(オマエガ)K(ココニキテ)Y(ヤッテミロ)。
わたしは渡航前の海外赴任研修で、この言葉を教わりました。
海外駐在員は多くの場合、日本と海外支社をつなぐ「パイプ役」や「調整役」としての働きが求められます。
そうした駐在員にとって、日本との隔たりは「物理的なキョリ」に留まりません。
- 現地の実情をわからずに、日本側が無茶な要求を押し付けてくる
- 言うは易し、現地で実行に移す困難さを理解してくれない
「物理的なキョリ」が原因で、現地の状況を把握しきれない日本サイド。両者の間には、厳然たる「心理的な隔たり」が存在します。
こうした駐在員の心情を表す言葉として生まれたのが、先に紹介したOKY。
オマエガ、ココニキテ、ヤッテミロ!
これこそが、日本と海外支社の間に立ち、その調整に奔走する駐在員の「心の叫び」なのです。
情報が「遅れて」しかも「部分的に」しか伝わってこない
もちろん、テレビ会議などITツールの発達により、以前に比べて格段に海外とのキョリは縮まっています。特にコロナ後の「海外駐在」は、コロナ前のそれとは大きく違ったものとなるでしょう。
それでもやはり、同じ空間を共有することで得られる情報量とは、天と地ほどの差があるとわたしは思います。
特にわれわれは、「行間を重視する」日本人です。
日本にいるメンバーが、どんな様子でどんな仕事をしているかわからない。
日本にいれば、立ち話で仕事を振られることもあります。
上司の様子を見て、言外の意図を汲み取ることもできる。
お上の一言で、方針が大きく切り替わることもあるでしょう。
海外にいると、こうした情報が部分的にしか入ってこない。
しかもタイムリーではなく、どうしても時差が生じてしまう。
- 同じ空間を共有していないため、「空気を読む」ことができない。
- 情報が「遅れて」しかも「部分的」にしか伝わらないため、どうしても対応が後手後手に回る。
おそらくわたしが感じていた日本側との「溝」は、同時に日本サイドも感じていたのだろうと思います。
こうしてわたしは、「OKY」の意味を徐々に実感していくことになります…
疎外感、孤独感、無力感、、、
こうした日本サイドとの「ズレ」は、年を経るごとに拡大していきました。
わたしの知らない間に大きな方針転換があり、しかもそれが伝えられるのはしばらく経ってからのこと。
強い「置いてけぼり感」を感じてしまったこともしばしば。
あるときから、日本にいる上司が何を考えているのか、全く読めなくなってしまいました。
上司の指示に従って仕事をしていたつもりだったのに、いつの間にか日本側で方針転換が図られていたり。
上司の意図を汲んで仕事をしたつもりだったのに、わたしが読み間違えたのか、突然上司の気持ちが変わったのか、全く見当違いのことをしてしまっていたり。
途方に暮れました。
こうした日本サイドとの意思疎通は、多くの駐在員が共通に抱える問題であろうと思います。
つまりひとえに、わたしの能力不足という面が大きいのでしょう。
メールでのやり取りがスムーズに行かないので、電話をこまめにかけるようにしてみたり、といろいろ試行錯誤をしたものの、最後までこの溝を埋めることはできませんでした。
そしてある時から、「自分はチームに必要とされていない」と強く感じるようになりました。
なんのために、自分はここにいるのだろう…
置いてけぼり感
仲間はずれ感
疎外感
孤立感
孤独感
無力感
無能感
・・・
・・・
こうした「感情」が、自分でも気づかないうちに、少しずつわたしの心を蝕んでいったのだろうと思います。
日本での経験を出し尽くし、溝はなお一層広がっていく
海外駐在を経験された先輩が、こう言っていました。
「1年経つと徐々にできることが増え、自信が付いてくる。2年、3年と経つうちに行動範囲も広がっていき、仕事がスムーズに回せるようになる。ただし、4年目、5年目になるとやることがなくなる。」
この言葉を伝えられた当時、わたしにはその意味が理解できませんでした。
今ならよくわかります。
慣れない海外で、日本人であるわたしに出来ることは限られます。本当の意味で、現地の人以上にうまく仕事をこなすことはできません。
すなわち、日本で培った経験やスキルを徐々に放出して行くしかないのです。
その期間がおおよそ3年。
海外で新たな能力を身に着け、新しい仕事を開拓していくのは、並大抵のことではありません。
その意味で、海外に永住してお仕事をされている方を、わたしはとても尊敬します。自分には絶対に真似できない。
日本との「ズレ」が、徐々に蓄積していく意味合いもあるように思います。
年を経るごとに経験やスキルを出し尽くし、徐々に日本との隔たりが広がっていく。
そして現地に適応しすぎたがゆえに、日本では使いづらい人材となっていく。
上記は実際に上司からいただいたアドバイスでもありますが、最後の部分は少し被害妄想が入っていると思います(笑)。あくまでわたし自身や、わたしの周りの人を見て感じた、わたしの感想です。
また、駐在員の立ち位置や社内での取り扱われ方は、会社や業種によって大きく異なるであろうことを補足しておきます。
一般論として語るのは少々飛躍のしすぎではありますが、それでも個人的にはやはり、海外に長居するのは相応のリスクがあるように感じます。
自分のキャリアは、自分で責任を持つしかない
最後にひとつ、ちょっとした笑い話をお話します。
現地に赴任して数年が経った後、わたしは帰任時期について係長に尋ねました。
返答はこうです。
「部長さんと課長さんで相談していると思うよ」
課長さんに同じ質問をしてみました。
「部長さんの方で考えてくれているからね」
部長さんにも同じ質問をしました。
「課長くんと係長くんの方で考えてくれていると思うのだけど…」
おもしろいですね(笑)。
この話から学ぶ教訓はこうです。
「自分のキャリアには、自分で責任を持つしかない」
当たり前のことのようですが、当時のわたしは自分のキャリアを真剣に考えていませんでした。
会社任せ、上司任せにしてしまっていた自業自得の結果です。
それもそのはずです。上司にとってわたしは、大勢いる部下のうちの一人でしかないのですから。
自戒の念を込めて、もう一度。
「自分のキャリアには、自分で責任を持つしかない」
闇編第2幕、今回はここまで!
最後までお読みいただきありがとうございました!
今回は、海外駐在の「闇」の二つ目、
「日本との隔たり」に悩む日々、OKY
について書かせていただきました。
引き続き、続編もご覧いただけると大変嬉しく思います。
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次の記事「海外駐在の光と闇(闇編③)」はコチラ:
海外駐在員の光と闇(闇編③:「家族」の負担)